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三善英史の世界

三善英史の若い頃の動画を昨日から見出した。三善英史は17歳でデビューするが、凄い美青年だ。デビュー曲『雨』は名曲である。一時NHKが彼を気に入って大河ドラマのタイトルは忘れたが(後で調べたら『元禄太平記』だった)忠臣蔵の仇役吉良上野介の家来清水一学役に抜擢した。彼は肌も女のようにきめ細かな綺麗な肌をしている。紅白歌合戦にも何度も出た。そのうち彼がゲイだという噂が広まり干された。
三善英史は、デビュー当時は生真面目な青年だったが名が売れてくると悪擦れしてくる。歌うのでも変な振りや演技をするようになった。が、それは彼個人の罪だろうか?増長して下品にもなっていった。そして干されることになる。
私は彼はマスメディアの犠牲者だと思う。ゲイだったとしてもマスメディアが叩かなければ、その儘通用している人も沢山いる。悪擦れしたのもマスメディアが彼にそう要求したのである。彼は芸者の私生児だから、元々水商売的なところがあった。そこをメディアが強調するように要求して彼は踊らされ、それが不評になると、メディアは彼を捨てたのだ。
三善英史は歌の才能がある人だった。元々高い美声の持ち主である上に歌も上手かった。歌手としてのみ生きさせてやったら、彼はもっと長く歌の世界でおられたのに。作曲をする人も下品な曲ばかり作った。そうすれば売れると思ったのであろう。性交を窺わせる様な歌とか。
バラエティー番組にも出さされ、跳び箱をやらされて飛べず、運動神経の悪いところを見せてファンを失っていったりもした。また、歌う時の振りで見せるタイプの歌手でないのに『ラッキー・レディー、アンラッキー・ボーイ』の様な積極的な振りをする歌を歌わされたりした。誰でも得手不得手がある。振りとかポーズで見せる、歌そのものは上手くない歌手もいる。
ダンスで見せる歌手が増えたので運動神経のない三善英史にもそれを要求したのだろう。演歌歌手の中でダンスで見せたりしないで歌の上手さのみで勝負する人は沢山いる。三善英史さんに対してもそうしてやったら、もっと長く歌謡界で居れたのにと残念でならない。
私が高校生で関西学院の近くに住んでいた時、『雨』がかかっていて「綺麗な曲だなあ」と感嘆しながら歩いていたことを思い出す。母の実家に帰っていた時も、隣の自動車屋さんが大きな音で三善英史さんの歌を次々かけていて名曲続きだと感動しながら聞いていた。
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プロフィール

marimidori

Author:marimidori
東京で生まれた後、親の転勤もあってあっちこっちへ住み、今は徳島在住。夫の経営する薬店を手伝いながら、諸行無常の生活をしている。15歳の時から強烈な不眠に悩まされ、二十歳の頃ついた病名が境界性欝病。還暦になった今でも治っていない。同じような病の人に役立てばとブログを始めることにした。FC2ブログへようこそ!